悟りゆくまことの道に入りぬれば
恋しかるべき故郷もなし
- 歌の意味
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悟りへと進んでゆく真実の仏の道に入ってしまったので、恋しく思うはずの故郷というものもない。
- 鑑賞
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巻第十 羈旅歌 985
詞書「百首歌奉りしに旅歌」
故郷と都を思って巻を結ぶ一連の一首目である。悟りへと進む真実の道に入ったので、恋しく思うはずの故郷もないと、仏道に生きる者の旅の心を詠む。詞書によれば、百首歌を奉った時の旅の歌である。
作者名は記されておらず、前歌に続いて慈円の作である。慈円は関白藤原忠通の子で、天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。
場面は仏道を旅にたとえる心の旅、場所は特定の地を離れた旅路である。
直接の契機は、後鳥羽院に百首歌を奉った折の旅の題による詠である。
初句「悟りゆく」は、悟りへと進んでゆく、の意である。仏道の修行を旅路にたとえている。
二句「まことの道に」は、真実の仏の道に、の意である。旅の道と仏道とが重ねられる。
三句「入りぬれば」は、入ってしまったので、の意である。完了の「ぬれ」に「ば」が付いて理由を表す。
四句「恋しかるべき」は、恋しく思うはずの、の意である。旅の歌で繰り返し詠まれてきた故郷への思いを前提としている。
結句「故郷もなし」は、故郷というものもない、の意である。本巻の第九百六十五首が「なほ故郷を顧みる」と詠み、多くの歌が故郷を思って涙したのに対し、この歌は仏道に入った者には恋しい故郷もないと言い切っており、故郷への思いを詠み重ねてきた羈旅歌の通念に理を差し向けている。ここから故郷と都を思って巻を結ぶ歌が続く。
さとる:悟りを開く、真理を知る
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- その他の歌
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