賤の男の朝な朝なに樵りつむる
しばしのほどもありがたの世や
- 歌の意味
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身分の低い木こりが毎朝伐って積む柴、そのしばしの間でさえ生きながらえるのが難しい世であることよ。
- 鑑賞
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巻第十八 雑歌下 1837
詞書「年頃修行の心ありけるを、捨てがたきこと侍りて過ぎけるに、親などなくなりて心やすく思ひ立ちける頃、障子に書き付け侍りける」
世を恨み嘆く心を詠む歌の二首目である。木こりが毎朝伐り積む柴のように、しばしの間でさえ生きながらえるのが難しい世だ、と詠む。詞書によれば、長年修行の志がありながら捨てがたい事情があって過ごしてきたが、親などが亡くなって心置きなく出家を決意した頃、障子に書き付けた歌である。無常の世に、もはや一刻も猶予はないという思いを述べている。
作者の「山田法師」は、経歴の詳しく伝わらない人物である。
初句「賤の男の」は、身分の低い男、ここでは木こりをいう。
二句「朝な朝なに」は、毎朝毎朝、の意である。
三句「樵りつむる」は、木を伐って積み重ねる、の意である。ここまでが序詞で、伐り積む「柴」を思わせて四句の「しばし」を導く。
四句「しばしのほども」の「しばし」は、柴の意と、少しの間の意とを掛ける掛詞である。
結句「ありがたの世や」の「ありがた」は、形容詞「ありがたし」の語幹で、生きながらえるのが難しい、の意である。「や」は詠嘆の終助詞で、無常の世への感慨で結ぶ。前歌の山田の稲に続き、山里の人の営みに託している。
しづのを:身分の低い男
こる:木を伐る
しばし:柴の意と、少しの間の意を掛ける
- 作者
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山田法師
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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憂き身には山田のおしねおしこめて 世をひたすらに恨みわびぬる
- 次の歌
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数ならぬ身はなきものになしはてつ 誰がためにかは世をも恨みむ