- 歌の意味
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迷いの闇が晴れて、心の空に澄みわたる月は、西の山辺に近くなっているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第二十 釈教歌 1978
詞書「観心をよみ侍りける」
西方を思う贈答と月の歌の一連の六首目で、巻第二十の巻末歌であり、『新古今和歌集』全巻の最後を飾る歌である。迷いの闇が晴れて心の空に澄む月は、西の山辺に近づいているのだろうかと詠む歌である。詞書によれば、観心を題として詠んだ歌である。
自らの心を観じて悟りの月が澄みわたったとき、その月が西の山、すなわち西方浄土へと近づいていくという、往生への静かな確信と願いが表れている。
作者の「西行法師」は、俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家した。諸国を旅して多くの歌を詠み、家集に『山家集』がある。
観心は、自らの心の本性を観察する修行であり、その心を月にたとえて観想する。
初句「闇晴れて」は、煩悩の闇が晴れて、の意である。本巻の第千九百三十四首が同じ観心を題として「なを晴れやらぬ秋霧」を詠んだのに対し、この歌では闇がすっかり晴れている。巻頭の清水観音の歌が衆生に「なを頼め」と呼びかけたのに始まり、巻末は衆生の側が闇を晴らして西方を望む歌で閉じられる。
二句「心の空に」は、心を空にたとえた語で、第千九百五十二首の「空しき空」や第千九百五十首の「心の月」の語群をまとめている。
三句「澄む月は」は、心の空に澄みわたる月で、悟りの心のたとえである。前の贈答や第千九百七十七首で西へ導く「しるべ」とされた月が、ここでは自らの心の内に澄んでいる。
四句「西の山べや」は、月の沈む西の山で、西方浄土を指す。係助詞「や」による疑問である。
結句「近くなるらん」は、「や」を受けて連体形「らん」で結ぶ係り結びで、近くなっているのだろうか、と推し量る。月が西へ傾く夜明けの景に、往生の近づきを重ね、巻と集の全体を結んでいる。
くわんじん:自らの心の本性を観察する修行
やまべ:山のほとり。山辺
- 作者
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西行
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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昔見し月の光をしるべにて 今宵や君が西へ行くらん