- 歌の意味
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島の宮の勾の池に放し飼いにされている鳥は、人の姿を恋しがって、池にもぐろうともしない。
- 鑑賞
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巻第二 挽歌 170
詞書は前の歌に続き「日並皇子尊の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌、或本の歌一首」
草壁皇子が島の宮の池に放し飼いにしていた鳥が、主を失って人恋しさのあまり池にもぐろうともしないと詠み、宮に残された寂しさを伝えた一首である。
草壁皇子の遺体を葬るまで安置した殯宮の時に、柿本人麻呂が作った挽歌で、長歌の第百六十七首は、天地の初めの神話から説き起こして皇子の死を悼む大作である。草壁皇子は天武天皇と持統天皇の皇子で、皇太子のまま持統天皇三年(689)に亡くなり、日並皇子尊と称えられた。本歌は或本に伝わる歌として、反歌二首の後に添えられている。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇、文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人で、長歌や挽歌にすぐれ、万葉集を代表する歌人である。後の時代には歌聖と称えられた。
初句「島の宮」は、草壁皇子の宮殿で、飛鳥の島の庄にあった。庭に池や島を配した宮であったことからこう呼ばれたとされる。
二句「まがりの池の」は、島の宮にあった池の名である。
三句「放ち鳥」は、池に放し飼いにされている鳥である。本巻の第百七十二首の舎人らの歌にも「放ち鳥」が詠まれ、本歌の人を恋う鳥と、荒れて去ることを案じられる鳥とが対をなしている。
四句「人目に恋ひて」は、人の姿を恋しがっての意である。
結句「池に潜かず」は、池にもぐろうともしないの意で、鳥の姿に宮人たちの悲しみを重ねている。
はなちどり:放し飼いにされている鳥
かづく:水にもぐる
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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あかねさす日は照らせれどぬばたまの 夜渡る月の隠らく惜しも
- 次の歌
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高照らす我が日の御子の万代に 国知らさまし島の宮はも