葛飾の真間の入江にうち靡く
玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ
- 歌の意味
-
葛飾の真間の入り江に波になびく玉藻を、刈っていたであろう手児名のことが思われる。
- 鑑賞
-
巻第三 挽歌 433
詞書は前の歌に続き「勝鹿の真間娘子が墓を過ぐる時に、山部宿禰赤人の作る歌一首并せて短歌」と注「東の俗語に云ふ、かづしかのままのてご」の「反歌」
真間の手児名の墓を訪れて詠んだ長歌の反歌の二首目である。真間の入り江になびく玉藻を見て、かつてここで玉藻を刈っていたであろう手児名の姿を思い描いている。前歌が墓所を見届けた感動を詠んだのに対し、ここでは入り江の景から生前の手児名の姿をしのんでいる。
真間の手児名は、下総国の葛飾の真間に住んだと伝える美しい娘で、多くの男に求婚されて思い悩み、入り江に身を投げたという伝説の人物である。真間は現在の千葉県市川市のあたりである。
作者の山部赤人は聖武朝の宮廷歌人で、行幸に従って多くの歌を詠み、清らかで澄んだ叙景歌にすぐれた。後世、柿本人麻呂と並んで歌聖と称された。
初句「葛飾の」 前歌の三句と同じく下総国の葛飾を指す。
二句「真間の入江に」 真間の入り江は手児名が身を投げたと伝える入り江である。
三句「うち靡く」 「うち」は接頭語で、波になびく、の意である。
四句「玉藻刈りけむ」 「けむ」は過去推量で、玉藻を刈っていたであろう、の意である。
結句「手児名し思ほゆ」 「し」は強意の副助詞、「思ほゆ」は自然に思われる意で、手児名の姿がしのばれる、と結んでいる。
いりえ:海や湖が陸地に入り込んだ所
- 作者
-
山部赤人
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
我れも見つ人にも告げむ勝鹿の 真間の手児名が奥つ城ところ
- 次の歌
-
風早の美穂の浦廻の白つつじ 見れども寂しなき人思へば