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ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし
今は我が名の惜しけくもなし

歌の意味
神の社の神聖な垣さえも越えてしまいそうだ。今はもう、私の評判など惜しくもない。
鑑賞
巻第十一 古今相聞往来歌類之上 2663

詞書は前の歌に続き「物に寄せて思ひを陳ぶ」
 神の社の神聖な垣さえも越えてしまいそうだ、今となっては自分の名が立つことなど惜しくもないと、恋のためにはどんな禁忌も犯す覚悟を詠んだ歌である。越えてはならない神域の垣に寄せて、世間の評判を顧みない激しい恋心を表している。
 本歌は前々歌の第二千六百六十一首と結句「惜しけくもなし」を共有している。第二千六百六十一首が命を惜しまないと詠むのに対し、本歌は名を惜しまないと詠み、ともに恋の激しさを表している。また本歌は、軽の社の斎ひ槻を詠む本巻の第二千六百五十六首から続いた、神に寄せる歌の一群を締めくくる位置にある。
 上の句は、『伊勢物語』第七十一段に見える「ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし大宮人の見まくほしさに」と同じであり、後の時代にもこの言い回しが受け継がれたことがうかがえる。
 作者は未詳である。巻第十一の作者未詳歌は、名を伝えない人々の恋の歌を集めたものである。

 初句「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞である。前の歌々に続いて、神に寄せる歌であることを示している。
 二句「神の斎垣も」は、神の社の神聖な垣さえもの意である。「斎垣」は神域を囲む垣で、係助詞「も」が越えてはならないものまでもと強めている。
 三句「越えぬべし」は、きっと越えてしまうだろうの意である。強意の助動詞「ぬ」に推量の「べし」が付いた形で、ここで句切れとなる。
 四句「今は我が名の」は、今となっては私の評判がの意である。「名」は世間の評判や噂をいう。
 結句「惜しけくもなし」は、惜しくもないの意である。「惜しけく」は形容詞「惜し」のク語法で、本巻の第二千六百六十一首の結句と同じ言葉である。

いかき:神社など神聖な場所を囲む垣
な:名、世間での評判や噂
出典
万葉集
前の歌
我妹子にまたも逢はむとちはやぶる 神の社を祷まぬ日はなし
次の歌
夕月夜暁闇の朝影に 我が身はなりぬ汝を思ひかねに