斑鳩や富の小川の絶えばこそ
我が大君の御名を忘れめ
- 歌の意味
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斑鳩の富の小川の流れが絶えることがあるならば、その時こそ、我が大君の御名を忘れもしよう。川の流れが絶えないように、決して忘れることはない。
- 鑑賞
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巻第二十 哀傷 1351
詞書「飢ゑ人頭をもたげて、御返しを奉る」
斑鳩の富の小川の流れが絶えたならば、その時こそ我が大君の御名を忘れようと詠む歌である。詞書から、前歌の第千三百五十首の聖徳太子の歌に対し、飢えた人が頭を上げて返しを奉ったことがわかる。太子の住む斑鳩を流れる富の小川の絶えないことを挙げ、その流れが絶えない限り、慈悲をかけてくれた太子の御名を決して忘れないと誓っている。後世、この飢人は達磨の化身であったと伝えられた。
本巻と拾遺和歌集の全巻を結ぶ巻末の歌である。巻頭の第千二百七十四首が亡き人を恋う涙を詠む歌であったのに対し、巻末のこの歌は、恩を受けた人の名を決して忘れまいと誓う歌であり、亡き人を偲ぶ哀傷の巻を、人を永く心にとどめる誓いで閉じている。
作者表記の「うゑ人」は、詞書の飢えた人をいうもので、名は伝わらない。
初句「斑鳩や」は、大和国の斑鳩よ、の意で、聖徳太子の住んだ斑鳩宮の地をいう。前歌の第千三百五十首の初句「しなてるや」と、同じく「や」で歌い起こしている。
二句「富の小川の」は、斑鳩を流れる富の小川の、の意である。
三句「絶えばこそ」は、流れが絶えたならばこそ、の意で、係助詞「こそ」は結句の已然形「め」で結ぶ係り結びである。
四句「我が大君の」は、我が大君の、の意で、聖徳太子をいう。
結句「御名を忘れめ」は、御名を忘れもしよう、の意で、「め」は推量の助動詞「む」の已然形である。川の流れが絶えることはないので、決して忘れないという誓いを表している。巻頭の第千二百七十四首の三句と四句「亡き人を恋ふる」と、人を思い続ける心で呼応している。
おほきみ:大君。天皇や皇族を敬っていう語
みな:御名。名の尊敬語
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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しなてるや片岡山に飯に飢ゑて 臥せる旅人あはれ親なし