桂川わがこゝろにもかよはねど
おなじふかさはながるべらなり
- 歌の意味
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桂川は私の心に通じているわけではないけれど、私の思いと同じ深さで流れているようだ。
- 鑑賞
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二月十六日、夕方ごろ京へのぼるついでに見ると、山崎の小櫃の絵も、まがりの大路の形も昔と変わっていなかった。島坂では人がもてなしをしてくれた。夜になってから京に入ろうと思い、急がずにいるうちに月が出た。一行は月の明るい中を桂川を渡った。人々は「この川は飛鳥川ではないので、淵も瀬もまったく変わっていない」と言い合った。夜が更けてから京に入り、家に着いて門を入ると、月が明るいので様子がよく見えた。家は聞いていた以上に、言いようもなく壊れ荒れていた。
桂川は京の西を流れる川で、山崎から京へ入るときに渡る川である。「飛鳥川」は、古今和歌集の「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」によって、移り変わりの激しいものの代表とされていた川である。家を預けていたのは、中垣があるだけで一つの家のような隣家の人で、自分から望んで預かっており、留守の間も折々に物を与えていた。
桂川を渡る中で、「ひさかたの月におひたるかつら川そこなる影もかはらざりけり」「あまぐものはるかなりつる桂川そでをひでゝもわたりぬるかな」に続けて、また別の人が詠んだのがこの歌である。
日記の書き手は、都に着いたうれしさのあまり、歌も多すぎるほどだと記している。夜が更けてから京に入り、家に着いてみると、家は聞いていた以上に荒れ果てていた。
初句「桂川」は、渡っている桂川を呼びかけるように置かれている。第二句「わがこゝろにも」は、私の心にも、の意。第三句「かよはねど」は、通じ合うわけではないけれども、と逆接で続く。
第四句「おなじふかさは」は、私の心と同じ深さで、の意。結句「ながるべらなり」の「べらなり」は推量の助動詞で、流れているようだ、と結ぶ。
桂川が自分の心に通じているわけではないのに、都へ帰り着いた喜びの深さと同じ深さで流れているようだ、と川の深さと心の深さとを重ねている。前の二首と同じく、桂川を渡る感慨を詠んだ一首である。
かよふ:通じ合う
- 作者
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紀貫之
- 出典
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土佐日記
- 前の歌
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あまぐものはるかなりつる桂川 そでをひでゝもわたりぬるかな
- 次の歌
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うまれしもかへらぬものを我がやどに 小松のあるを見るがかなしさ