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行のしるしもあらは葛城の
はしたなしとてさてややみなん

歌の意味
私の修行の効験があるならば、葛城の神とて、きまりが悪いからといって、そのまま橋造りをやめてしまうだろうか。
鑑賞
 女車のようなよそおいで訪れた帥の宮は、帰りぎわに真弓の紅葉をめぐって和泉式部と連歌を交わし、和泉式部が情趣を解する人であることを改めて趣深く思った。和泉式部の方は、昼間に初めて姿を見られた恥ずかしさのなかで、直衣姿の帥の宮の立派さに目を奪われていた。
 女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。
 和泉式部から「葛城の神もさこそは思ひけめくめちにわたすはしたなき迄」に「どうしようもなく恥ずかしく存じました」と添えて届き、帥の宮はすぐに折り返してこの歌を返した。
 この贈答ののち、帥の宮は以前よりも時々訪れるようになり、和泉式部はこの上なく所在なさが慰められる心地がした。
 葛城の神をめぐっては、役行者が葛城山の一言主神に命じて、葛城山から吉野の金峰山へ岩橋を架けさせたが、神は容貌の醜さを恥じて夜しか働かなかったため、橋は完成しなかったという伝説がある。

 初句と第二句の「行のしるしもあらは」は、修行の効験があるならば、という意味で、「行ひ」は仏道の修行、「しるし」はその効き目をいう。神に橋を架けさせた伝説の役行者に、自分をなぞらえている。第三句の「葛城の」は、和泉式部の歌の「葛城の神」を受けている。
 下の句の「はしたなしとてさてややみなん」は、きまりが悪いといって、そのままやめてしまうだろうか、という意味で、「はしたなし」は和泉式部の歌の掛詞をそのまま受け、「や」は反語、「なむ」は強意と推量の助動詞である。恥ずかしがる和泉式部を葛城の神に、自分をそれに命じる行者にたとえ、恥ずかしいからといって二人の仲の橋渡しを途中でやめさせはしないと、邸に迎える決意をにじませている。

行ひ(おこない):仏道の修行、勤行
験(しるし):効き目、ききめ
作者
敦道親王
出典
和泉式部日記
前の歌
葛城の神もさこそは思ひけめ くめちにわたすはしたなき迄
次の歌
我うへは千鳥もつけしおほ鳥の 羽にも霜はさやはをきける