神無月よにふりにたる時雨とや
けふの詠めをあかす見る覽
- 歌の意味
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十月の、世にありふれて古びた時雨だと思って、今日の長雨の眺めを、飽きることもなく見ているのだろうか。
- 鑑賞
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霜の朝の贈答の日の夕暮れに訪れた帥の宮は、「この頃の山の紅葉はどんなに趣深いことだろう。さあ、見に行こう」と誘い、和泉式部も「たいそう結構でございます」と答えた。ところが当日になると、帥の宮から「今日は物忌みで閉じこもっていなければならず、たいそう残念だ。これが過ぎたら必ず」と言ってきた。その夜、しぐれがいつもより激しく降り、木々の葉が残りなく散ってしまいそうな音が聞こえたので、和泉式部は目を覚まし、「風の前なる」と独り言を言って、すっかり散ってしまっただろう、昨日見に行けばよかったと残念に思いながら夜を明かした。
女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。物忌みは、陰陽道で凶事を避けるため一定期間家にこもって身を慎むことである。
物忌みのために紅葉見物に行けなかった翌朝、しぐれの夜を明かした和泉式部を思いやって、帥の宮はこの歌を送り、「それにしても残念なことだ」と添えた。
和泉式部は「しくれかもなにゝぬれたる袂そと定めかねてそ我も詠むる」と返し、さらに「そういえば」として「紅葉はゝ夜はの時雨にあらしかし昨日山へをみたらましかは」を書き添えた。
初句と第二句の「神無月よにふりにたる」は、十月の、世にありふれて古びた、という意味で、「ふり」には時雨が「降り」と、古くなる意の「古り」が掛けられている。神無月は時雨の季節とされた。第三句の「時雨とや」は、時雨だと思って、の意で、「や」は疑問の係助詞である。
下の句の「けふの詠めをあかす見る覽」は、今日の長雨の眺めを飽きずに見ているのだろうか、という意味で、「ながめ」は「長雨」と「眺め」の掛詞、「らむ」は現在推量の助動詞である。紅葉見物の約束が果たせず、一夜のしぐれに紅葉も散ったであろう朝に、ありふれた時雨と思って眺めているのかと問いかけ、約束を破った気まずさと、相手の心を思いやる気持ちを込めている。
神無月(かんなづき):陰暦十月
時雨(しぐれ):秋の終わりから冬の初めにかけて、降ったりやんだりする雨
古る(ふる):古くなる、ありふれたものになる
- 作者
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敦道親王
- 出典
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和泉式部日記
- 前の歌
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月も見てねにきといひし人の上に をきしもせしを大鳥のこと
- 次の歌
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しくれかもなにゝぬれたる袂そと 定めかねてそ我も詠むる