紅葉はのみにくる迄もちらさらは
高瀨の舟のいかゝ焦れん
- 歌の意味
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紅葉の葉が、あなたが見に来るまで散らずにいるのならば、高瀬舟がどうして漕ぎ焦がれたりしようか。
- 鑑賞
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霜の朝の贈答の日の夕暮れに訪れた帥の宮は、「この頃の山の紅葉はどんなに趣深いことだろう。さあ、見に行こう」と誘い、和泉式部も「たいそう結構でございます」と答えた。ところが当日になると、帥の宮から「今日は物忌みで閉じこもっていなければならず、たいそう残念だ。これが過ぎたら必ず」と言ってきた。その夜、しぐれがいつもより激しく降り、木々の葉が残りなく散ってしまいそうな音が聞こえたので、和泉式部は目を覚まし、「風の前なる」と独り言を言って、すっかり散ってしまっただろう、昨日見に行けばよかったと残念に思いながら夜を明かした。
女は和泉式部のことで、大江雅致の娘であり、和泉守橘道貞の妻として小式部内侍をもうけた。帥の宮は冷泉天皇の第四皇子敦道親王で、大宰帥であったことからこう呼ばれる。物忌みは、陰陽道で凶事を避けるため一定期間家にこもって身を慎むことである。
帥の宮から、先日の差し障りのことを忘れたような「山へには車にのりて行へきをたかせの舟はいかゝよるへき」が届き、和泉式部はこの歌を返した。
この返歌でその日は暮れた。その後、帥の宮が訪れたとき、和泉式部の家の方角がふさがっていたので、帥の宮はいつものようにごく内密に和泉式部を連れ出し、方違えの宿へ伴うことになる。
初句と第二句の「紅葉はのみにくる迄も」は、紅葉の葉が、あなたが見に来るまでも、という意味で、紅葉見物の話題を受けている。第三句の「ちらさらは」は、散らずにいるならば、という仮定である。
下の句の「高瀨の舟のいかゝ焦れん」は、高瀬舟がどうして漕がれようか、という意味で、「こがれ」には舟を「漕ぐ」と、恋い「焦がる」が掛けられ、「いかが〜む」は反語である。帥の宮の歌の「たかせの舟」を受け、紅葉がいつまでも散らずに待っていてくれるなら、こんなに恋い焦がれて舟を漕ぎ出させたりはしないと、すれ違った話をまとめながら、相手の訪れを待ちわびる思いを伝えている。
焦がる(こがる):恋い慕って思い悩む
漕ぐ(こぐ):櫂や櫓で舟を進める
- 作者
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和泉式部
- 出典
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和泉式部日記
- 前の歌
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山へには車にのりて行へきを たかせの舟はいかゝよるへき
- 次の歌
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ねぬるよのね覺の夢にならひてそ 伏見の里をけさは起つる