ただならじとばかりたたく水鶏ゆゑ
あけてはいかに悔しからまし
- 歌の意味
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ただごとではあるまいと思うほど熱心に戸を叩く水鶏のせいで、もし戸を開けていたら、どんなに悔しい思いをしたことでしょう。
- 鑑賞
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紫式部が渡殿の局で寝ていた夜、誰かが戸を叩く音が聞こえた。しかし紫式部は恐ろしさのあまり、返事もせず戸を開けないまま夜を明かした。その翌朝、戸を叩いた人から歌が届いた。
戸を叩いた人物の名は原文には記されていない。ただし『新勅撰和歌集』では、この歌を藤原道長の作としている。
翌朝届いた「よもすがら水鶏よりけになくなくぞ槙の戸口にたたき侘びつる」という歌に対して、紫式部はこの歌を返した。
この返歌で、紫式部は戸を開けなかったことを正当化し、相手の求愛をかわしている。この贈答をめぐっては、紫式部と道長の関係を示すものとしてさまざまに論じられてきた。
初句から第三句の「ただならじとばかりたたく水鶏ゆゑ」は、ただごとではあるまいと思わせるほどに叩く水鶏のせいで、という意味である。「じ」は打消推量の助動詞、「ばかり」は程度を表す副助詞である。相手の歌の「水鶏」「たたき」をそのまま受け、熱心な戸叩きを、ただの水鶏の気まぐれにすぎないかのように言いなしている。
下の句の「あけてはいかに悔しからまし」は、戸を開けていたらどんなに悔しかっただろう、という意味で、「まし」は反実仮想の助動詞である。「あけ」には戸を「開け」る意が込められ、「ては」は仮定を表す。相手の「たたき侘びつる」という恨みに対して、開けなかったからこそ後悔せずに済んだと切り返し、軽やかにかわした返歌である。
水鶏(くいな):水辺にすむ鳥。鳴き声が戸を叩く音に似ているとされる
開く(あく):戸を開ける
- 作者
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紫式部
- 出典
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紫式部日記
- 前の歌
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よもすがら水鶏よりけになくなくぞ 槙の戸口にたたき侘びつる