思ひ出もなくてや我が身やみなまし
姨捨山の月見ざりせば
- 歌の意味
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姨捨山の月を見なかったならば、わたしの一生は何の思い出もないまま終わってしまっただろうか。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 287
信濃国の姨捨山で見た月のすばらしさを、これを見なかったら人生に何の思い出もなく終わっただろうとまで言って讃えた一首である。月を一生の思い出とする大胆な表現に、名月への深い感動がこめられている。
姨捨山の月は、古今和歌集のよみ人しらずの歌に、心を慰めかねると詠まれて以来、月の名所として知られた。次歌の第二百八十八首も姨捨山の月を詠み、本巻はここから月の歌が長く続く。
初句「思ひ出も」は、係助詞「も」で、思い出さえもという意を表す。
二句「なくてや我が身」は、係助詞「や」で疑問を示す。
三句「やみなまし」は、完了の「ぬ」と反実仮想の「まし」の連体形で「や」を受けて結ぶ係り結びで、終わってしまっただろうかという三句切れである。
四句「姨捨山の」は、信濃国の歌枕で、月の名所として知られた。次歌の二句にも同じ山の名が詠まれている。
結句「月見ざりせば」は、過去の「き」の未然形「せ」に「ば」が付いた反実仮想の仮定で、三句の「まし」と呼応し、倒置によって月を見なかったならばと条件を示して結ぶ。
をばすてやま:信濃国の山。月の名所として知られた歌枕
やむ:終わる
- 出典
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詞花和歌集
- 前の歌
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難波江の繁き葦間を漕ぐ舟は 棹の音にぞ行く方を知る
- 次の歌
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名に高き姨捨山も見しかども 今宵ばかりの月はなかりき