年月は我が身に添へて過ぎぬれど
思ふ心のゆかずもあるかな
- 歌の意味
-
年月は私の身に連れ添って過ぎていったけれど、あなたを思う心は晴れることもなく、満たされないままであることだ。
- 鑑賞
-
巻第十一 恋歌一 999
詞書「九条右大臣の娘にはじめてつかはしける」
年を経た思いを詠む一連の二首目である。年月は我が身とともに過ぎたが、思う心は満たされず晴れないと詠む。詞書によれば、九条右大臣の娘にはじめて贈った歌である。
作者の「西宮前左大臣」は源高明である。醍醐天皇の皇子で、臣籍に下って源の姓を賜り、左大臣に至った。安和二年の安和の変で大宰権帥に左遷された。西宮に邸があったことから西宮左大臣と呼ばれる。
九条右大臣は藤原師輔で、九条に邸があったことからこう呼ばれた。高明はその娘たちを妻とした。
次歌は、この歌に対する娘からの返しである。
初句「年月は」は、前歌の「年を経て」を受けるように、長い時の経過を示す。
二句「我が身に添へて」は、我が身とともに、の意で、年月が身に連れ添って過ぎてゆくさまをいう。
三句「過ぎぬれど」は逆接で、年月は過ぎたけれども、と下の句に転じる。
四句「思ふ心の」は、あなたを思う心の、の意である。
結句「ゆかずもあるかな」の「ゆく」は、心が晴れて満ち足りる意の「心ゆく」の「ゆく」である。年月は過ぎてゆくのに、心は満たされない、という対比になっており、はじめて贈る歌でありながら、長く秘めてきた思いの深さを訴えている。
ゆく:心が晴れて満ち足りる
- 作者
-
源高明
- 出典
-
新古今和歌集
- 前の歌
-
年を経て思ふ心のしるしにぞ 空もたよりの風は吹きける
- 次の歌
-
もろともにあはれと言はず人知れぬ 問はず語りを我のみやせん