あらたまの年にまかせて見るよりは
我こそ越えめ逢坂の関
- 歌の意味
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年が改まってゆくのに任せて、ただ眺めているよりは、私のほうこそ越えよう。逢坂の関を。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 1005
詞書「つれなく侍りける女に師走のつごもりにつかはしける」
冬の節会と年の暮に寄せて女に贈った歌二首の二首目である。年が越えてゆくのをただ眺めているよりは、自分こそ逢坂の関を越えようと、年の暮に逢うことを迫る。詞書によれば、つれない女に十二月の末日に贈った歌である。
作者の「謙徳公」は藤原伊尹である。右大臣藤原師輔の長男で、摂政太政大臣に至った。謙徳公は死後に贈られた諡である。家集に『一条摂政御集』がある。
初句「あらたまの」は「年」にかかる枕詞である。
二句「年にまかせて」は、年の移り変わるのに任せて、の意である。十二月の末日に年が越えてゆくことを踏まえる。
三句「見るよりは」は、年の越えてゆくのを傍らでただ眺めているよりは、の意である。
四句「我こそ越えめ」の「こそ」は強意の係助詞で、「め」で結ぶ。年が越えるのではなく私が越えよう、と越える主体を自分に移す。ここで四句切れとなり、結句と倒置になる。
結句「逢坂の関」は体言止めである。逢坂の関は山城と近江の境の関で、「逢ふ」を名に含むことから、男女が逢うことの象徴として詠まれた。年を越すことと関を越すことを重ね、年の終わりに逢うことを迫っている。前歌の十一月の節会に続いて十二月末日の歌が置かれ、冬の時の順に並ぶ。
つごもり:月の末日
あふさかのせき:山城と近江の境にあった関、「逢ふ」を掛けて詠まれる
- 作者
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藤原伊尹
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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天つ空豊の明りに見し人の なほ面影のしひて恋しき
- 次の歌
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我が宿はそこともなにか教ふべき 言はでこそ見め尋ねけりやと