我が恋は松を時雨の染めかねて
真葛が原に風騒ぐなり
- 歌の意味
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私の恋は、時雨が松を染めかねているようなものだ。真葛が原には風が騒いでいる音がする。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 1030
詞書「百首歌たてまつりし時よめる」
思いを色に出すか否かをめぐる忍ぶ恋を詠む一連の六首目である。時雨が常緑の松を染めかね、真葛が原に風が騒ぐ景によって、相手の心を動かせずに乱れてゆく恋を詠む。詞書によれば、百首歌を奉った時の詠である。
作者の「前大僧正慈円」は関白藤原忠通の子である。天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。
初句「我が恋は」は、前歌と同じ初句で起こす。
二句「松を時雨の」は、時雨が松を、の意である。時雨は木の葉を染めるものとされるが、常緑の松は染まらない。
三句「染めかねて」は、染めることができないで、の意で、思いが相手の心を動かせないことを重ねる。
四句「真葛が原に」の真葛が原は、京の東山、今の円山公園のあたりにあった葛の生い茂る原である。葛の葉は風に裏を返すことから、恨みを連想させる景物として詠まれた。
結句「風騒ぐなり」の「なり」は音によって推定する助動詞で、風が騒いでいる音がする、の意である。松を染めかねた時雨から、葛の原を吹き荒れる風へと景を移し、忍びきれずに恨みへと乱れてゆく恋の心を景色だけで示している。前歌の後鳥羽院歌の「槙の下葉にもる時雨」と同じく時雨と常緑の木を詠み、本巻の第千二十八首からの三首が時雨に寄せて並べられている。
そめかぬ:染めることができない
まくずがはら:京の東山にあった葛の生い茂る原
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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我が恋は槙の下葉にもる時雨 濡るとも袖の色に出でめや
- 次の歌
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空蝉の鳴く音やよそにもりの露 干しあへぬ袖を人の問ふまで