ほととぎすいつかと待ちしあやめ草
今日はいかなるねにか鳴くべき
- 歌の意味
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ほととぎすがいつかいつかと待っていた、あやめ草の節句の今日、私はあやめ草の根にちなんで、どのような声で泣けばよいのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 1043
詞書「五月五日馬内侍につかはしける」
五月の景物に寄せる恋を詠む一連の二首目である。ほととぎすが待ちわびたあやめ草の節句の今日、どのような音で鳴けばよいのかと、あやめ草の根に掛けて恋の泣き声を問う。詞書によれば、五月五日に馬内侍に贈った歌である。
作者の「前大納言公任」は藤原公任である。関白太政大臣藤原頼忠の子で、権大納言に至った。詩歌管弦にすぐれ、『和漢朗詠集』を撰した。
馬内侍は平安時代中期の女房歌人で、中古三十六歌仙の一人である。
次歌は、この歌に対する馬内侍の返しである。
初句「ほととぎす」は、五月に鳴く鳥として待たれたもので、ここでは鳴く主に作者自身を重ねる。
二句「いつかと待ちし」は、いつ来るかと待っていた、の意である。
三句「あやめ草」は、五月五日の節句を表す。ほととぎすとあやめ草は五月の景物として取り合わせて詠まれ、『古今和歌集』恋歌一の巻頭歌「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」が知られる。
四句「今日はいかなるねにか」の「ね」は、あやめ草の「根」と、鳴く「音」を掛ける。「か」は疑問の係助詞で、結句の「べき」で結ぶ。
結句「鳴くべき」は、鳴けばよいのか、の意で、恋に泣く意を響かせる。前歌の左近歌があやめ草の根に心を託したのに続き、根と音を掛けて恋の泣き声を問いかけている。
ね:あやめ草の根の意と、鳴く声の意の「音」を掛ける
- 作者
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藤原公任
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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沼ごとに袖ぞ濡れぬるあやめ草 心に似たるねを求むとて
- 次の歌
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五月雨はそらおぼれするほととぎす 時に鳴く音は人もとがめず