須磨の海人の袖に吹きこす潮風の
なるとはすれど手にもたまらず
- 歌の意味
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須磨の海人の袖に吹き越してくる潮風が、袖に馴れて音を立てるように、あの人と馴れ親しみはするけれど、潮風が手にとどまらないように、私のものにはならない。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 1117
詞書「海辺恋といふことをよめる」
塩焼く海人に寄せて恋を詠む三首の三首目である。須磨の海人の袖に吹き越す潮風のように、馴れ親しむことはあっても、手にとどめることはできないと詠む。詞書によれば、「海辺恋」を題として詠まれた。
作者は藤原定家で、呼称の「朝臣」は五位以上の官人に付ける敬称である。藤原俊成の子で、『新古今和歌集』の撰者の一人である。
初句「須磨の海人の」は、須磨の浦の海人の、の意で、六音の字余りである。本巻の第千八十三首の「すまの浦人」に続き、須磨の海人がふたたび詠まれる。
二句「袖に吹きこす」は、袖に吹き越してくる、の意である。
三句「潮風の」は、潮を含んだ海風の、の意で、ここまでが四句の「なる」を導く。
四句「なるとはすれど」の「なる」には、潮風が袖に吹いて「鳴る」意と、相手と「馴る(馴れ親しむ)」意が掛けられている。「すれど」は逆接で、馴れ親しむようにはなるけれど、の意となる。
結句「手にもたまらず」は、手にもとどまらない、の意である。吹き過ぎる潮風が手にとどめられないように、馴れ親しんでも相手を自分のものにはできない恋の空しさを示す。
なる:潮風が鳴る意と、馴れ親しむ意の「馴る」を掛ける
たまる:とどまる
- 作者
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藤原定家
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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藻塩焼く海人の磯屋の夕煙 立つ名も苦しおもひ絶えなで
- 次の歌
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ありとても逢はぬためしのなとり川 朽ちだに果てね瀬々の埋もれ木