- 歌の意味
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年も経ってしまった。祈り続ける恋の契りは、初瀬山の峰の鐘が、私には関わりのない夕暮れを告げて響くようなものだ。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 1142
詞書は前の歌に続き「家に百首歌合し侍りけるに、祈恋といへる心を」
年を経る恋と祈りを詠む三首の三首目である。祈り続けて年も経たが、祈る契りは初瀬山の峰の鐘が、自分には関わりなく響くよその夕暮れのようだと詠む。詞書は前歌から続き、摂政太政大臣藤原良経の家の百首歌合で「祈恋」を題として詠まれた。
作者は藤原定家で、呼称の「朝臣」は五位以上の官人に付ける敬称である。藤原俊成の子で、『新古今和歌集』の撰者の一人である。
初瀬は大和国(奈良県桜井市)の歌枕で、長谷寺があり、観音への参詣で知られた。『千載和歌集』の源俊頼の歌「憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを」を本歌とする。
初句「年も経ぬ」は、年も経ってしまった、の意で、初句切れである。本巻の第千百四十首の「年経ても」を受け、祈り続けて年月の過ぎたことをいう。
二句「祈る契りは」は、祈っている恋の約束は、の意で、前歌の祈恋を受ける。
三句「初瀬山」は、観音への参詣で知られる長谷寺の山で、本歌の「初瀬」を取る。
四句「尾上の鐘の」は、峰の上の鐘の、の意で、長谷寺の夕べの鐘をいう。
結句「よその夕暮」は、自分とは関わりのないよその夕暮れ、の意で、体言止めで結ばれる。夕暮れは恋人の訪れを待つ時であるが、その鐘も自分には関わりなく響くとする。本歌が祈りの甲斐のなさを嘆いたのを受け、年を経てもかなわぬ祈りを鐘の音に託している。
をのへ:山の頂、峰
- 作者
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藤原定家
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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幾夜われ波にしほれて貴船川 袖に玉散る物思ふらん
- 次の歌
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憂き身をば我だに厭ふ厭へただ そをだに同じ心と思はん