忘れじの行く末までは難ければ
今日を限りの命ともがな
- 歌の意味
-
「いつまでも忘れまい」というあなたの言葉が、遠い将来まで変わらずにいることは難しいので、その言葉を聞いた今日を最後とする命であってほしい。
- 鑑賞
-
巻第十三 恋歌三 1149
詞書「中関白通ひそめ侍りける頃」
恋歌三の巻頭歌であり、逢い初めのころを詠む一連の一首目である。「忘れまい」という相手の誓いが遠い将来まで保たれるのは難しいので、いっそ幸福な今日を限りに命が尽きてほしいと願う。詞書によれば、中関白藤原道隆が作者のもとに通い始めたころの歌である。中関白は道隆の呼称である。
作者の「儀同三司母」は高階貴子である。高階成忠の娘で、円融天皇の宮中に仕えて高内侍と呼ばれた。藤原道隆の妻となり、伊周、隆家、一条天皇の中宮定子を産んだ。儀同三司は、准大臣に任じられた子の伊周を指す呼称である。
小倉百人一首の第五十四番に採られ、広く知られる歌である。恋歌三は逢い初めから後朝の別れ、来ぬ人を待つ恋へと進む巻であり、その冒頭に、逢瀬の喜びの頂点で死を願う一首が置かれている。
初句「忘れじの」は、忘れまいという、の意である。「じ」は打消意志の助動詞で、通い始めた男が口にした誓いの言葉をそのまま引いている。
二句「行く末までは」は、遠い将来まで、の意である。係助詞「は」が添えられ、今はともかく先々までは、という限定が示される。
三句「難ければ」は、難しいので、の意である。誓いが長く守られることへの不安が理由として述べられ、下の句の願望へと続く。
四句「今日を限りの」は、今日を最後とする、の意である。二句の「行く末」と四句の「今日」が遠近の対比をなし、先の不安を避けて今日の幸福にすべてを託す心が示される。
結句「命ともがな」の「もがな」は願望の終助詞で、命であってほしい、の意となる。逢ったその日に死を願うという激しい表現である。本巻の第千百五十一首は「逢ふにし換へば」と命を捨てても逢おうとし、第千百五十二首は逢ったのちに命を惜しむ。本歌はそれらに先立って巻頭に置かれ、逢瀬と命を結びつける一連の主題を示している。
ゆくすゑ:これから先。将来
かよひそむ:男が女のもとに通い始める
- 作者
-
高階貴子
- 出典
-
新古今和歌集
- 前の歌
-
思ひ知る人ありけりの世なりせば 尽きせず身をば恨みざらまし
- 次の歌
-
限りなく結び置きつる草枕 いづこの旅を思ひ忘れん