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逢ふまでの命もがなと思ひしは
悔しかりける我が心かな

歌の意味
逢うまでの命があればよいと思っていたのは、今思えば悔やまれる我が心であったことだ。
鑑賞
巻第十三 恋歌三 1155

詞書「題しらず」
 逢い初めのころを詠む一連の七首目であり、一連の結びにあたる。逢うまでの命があればよいと思っていたのは、悔やまれる我が心であったと詠む。逢えた今となっては、もっと長く生きたいと思うのである。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
 作者の「西行法師」は、俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、若くして出家した歌僧である。諸国を旅して多くの歌を残した。

 初句「逢ふまでの」は、逢う時までの、の意である。本巻の第千百五十一首の「逢ふにし換へば」と同じく、逢うことを命の区切りとする考え方を示す。
 二句「命もがなと」の「もがな」は願望の終助詞で、命があってほしいと、の意である。巻頭歌の結句「命ともがな」と同じ「もがな」を用いながら、巻頭歌が今日で命を終えたいと願ったのに対し、本歌は逢うまで生きたいと願った心を振り返っている。
 三句「思ひしは」は、思ったのは、の意である。過去の助動詞「き」の連体形「し」によって、その願いがすでに過ぎたものであることが示される。
 四句「悔しかりける」は、悔やまれることであった、の意である。「ける」は気づきの詠嘆で、逢えたのちに逢うまでの命では足りないと気づき、かつての願いを悔いている。
 結句「我が心かな」は、我が心であることよ、の意で、詠嘆の「かな」で結ぶ。本巻の第千百五十二首が逢ったのちに命を惜しむ心を率直に詠んだのに対し、本歌はかつての自分の願いを悔いる形で同じ心を示し、逢い初めのころを詠む一連を締めくくっている。

いのち:生きている間。寿命
作者
西行
出典
新古今和歌集
前の歌
恋しさに今日ぞ尋ぬる奥山の ひかげの露に袖は濡れつつ
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人心うす花染めの狩衣 さてだにあらで色や変はらん