消えかへりあるかなきかの我が身かな
恨みて帰る道芝の露
- 歌の意味
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すっかり消え入って、あるかないかもわからない我が身であることよ。逢えずに恨みながら帰る道の、道芝に置く露のように。
- 鑑賞
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巻第十三 恋歌三 1188
詞書「女の許に、物をだに言はむとてまかれりけるに、空しく帰りて朝に」
後朝の思いを詠む一連の十二首目である。逢えずに恨みながら帰る道芝の露のように、消え入ってあるかないかの我が身であると詠む。詞書によれば、せめて言葉だけでも交わそうと女のもとへ行ったが、むなしく帰り、翌朝に贈った歌である。
作者の「左大将朝光」は藤原朝光である。関白藤原兼通の子で、大納言で左近衛大将を兼ねた。
初句「消えかへり」は、すっかり消え入って、の意である。本巻の第千百七十二首の「消えかへりつる」と同じ語で、露と消える身を詠む流れを受けている。
二句「あるかなきかの」は、あるかないかわからないほどの、の意である。
三句「我が身かな」は、我が身であることよ、の意で、詠嘆の「かな」で三句切れとなる。
四句「恨みて帰る」は、恨みながら帰る、の意である。前歌が体調のために帰ったのに対し、本歌は逢えずにむなしく帰る恨みを詠む。
結句「道芝の露」は、前歌の三句と四句の「道芝の露」と同じ語である。前歌では露とともに消える身を仮定したが、本歌では我が身をすでに消えかけた道芝の露そのものとし、体言止めで結ぶ。
きえかへる:すっかり消え入る
みちしば:道端に生える芝草
- 作者
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藤原朝光
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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誰行きて君に告げまし道芝の 露もろともに消えなましかば
- 次の歌
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朝ぼらけおきつる霜の消えかへり 暮れ待つほどの袖を見せばや