古典和歌stream

あぢきなくつらき嵐の声も憂し
など夕暮れに待ちならひけん

歌の意味
どうにもならずつらく吹く嵐の音も、いとわしい。どうして夕暮れに人を待つことが習いになってしまったのだろう。
鑑賞
巻第十三 恋歌三 1196

詞書「西行法師人々に百首歌詠ませ侍りけるに」
 逢瀬ののち、次の夕暮れを待つ心を詠む一連の八首目で、一連の結びにあたる。どうにもならずつらく吹く嵐の音もいとわしい、どうして夕暮れに待つことが習いになってしまったのだろうと詠む。詞書によれば、西行が人々に勧めて詠ませた百首歌の中の一首である。
 作者の「定家朝臣」は藤原定家である。藤原俊成の子で、『新古今和歌集』の撰者の一人であり、のちに『新勅撰和歌集』を撰進した。
 西行が勧進したこの百首は、伊勢の二見浦で詠ませたことから「二見浦百首」と呼ばれる。

 初句「あぢきなく」は、どうにもならず、甲斐もなく、の意である。待っても甲斐のない心をまず示す。
 二句「つらき嵐の」は、つらく吹く嵐の、の意である。夕暮れに吹く激しい風が、待つ者の心をいっそう乱す。
 三句「声も憂し」は、音もいとわしい、の意で、三句切れとなる。「も」によって、人の来ないことに加えて、という含みが示される。
 四句「など夕暮れに」は、どうして夕暮れに、の意である。前歌までの一連が夕暮れを逢瀬の時として待ち続けたのを受ける。
 結句「待ちならひけん」は、待つことが習いになってしまったのだろう、の意である。「けん」は過去の原因を推量する助動詞である。夕暮れに待つことが習慣となった自分を省みる形で、夕暮れを待つ一連を締めくくり、次歌以下の月や風に託して来ぬ人を待つ歌へと移ってゆく。

まちならふ:待つことが習慣になる
作者
藤原定家
出典
新古今和歌集
前の歌
夕暮れに命かけたるかげろふの ありやあらずや問ふもはかなし
次の歌
頼めずは人はまつちの山なりと 寝なましものをいさよひの月