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なれゆくはうき世なればや須磨の海人の
塩焼き衣間遠なるらん

歌の意味
馴れ親しむにつれて飽きられてゆくのが憂き世の常だからでしょうか。須磨の海人の塩焼き衣が着なれて織り目が粗くなるように、あなたのお越しが間遠になっているのは。
鑑賞
巻第十三 恋歌三 1210

詞書「天暦御時、間遠にあれやと侍りければ」
 訪れの途絶えた恋を詠む一連の二首目である。馴れ親しむにつれて疎まれてゆくのが憂き世の常だからか、須磨の海人の塩焼き衣のように、お越しが間遠になっていると詠む。詞書によれば、村上天皇の御代に、天皇が「間遠にあれや」と言ってきたのに答えた歌である。天暦は村上天皇の治世の年号である。
 作者の「女御徽子女王」は、醍醐天皇の皇子重明親王の娘である。斎宮を務めたのち村上天皇の女御となり、斎宮女御と呼ばれた。
 天皇の言葉は、『古今和歌集』恋歌五の読人しらずの歌「須磨の海人の塩焼き衣をさを粗み間遠にあれや君が来まさぬ」の四句を引いたもので、本歌はこの歌を踏まえて答えている。

 初句「なれゆくは」の「なれ」は、人と馴れ親しむ意と、衣が着古されて萎える意を掛ける掛詞である。四句の「衣」と縁語をなす。
 二句「うき世なればや」は、憂き世だからだろうか、の意で、係助詞「や」が結句の「らん」と係り結びをなす。馴れれば飽きられるのが世の常だという嘆きである。
 三句「須磨の海人の」は、須磨の浦で塩を焼く海人の、の意で、六音の字余りである。須磨は摂津国の歌枕で、製塩の地として詠まれる。
 四句「塩焼き衣」は、塩を焼く海人が着る粗末な衣である。粗く織られた衣であることから、結句の「間遠」を導く。
 結句「間遠なるらん」は、間遠になっているのだろう、の意である。衣の織り目の粗い意と、訪れの間が遠い意が重なる。天皇が古歌の「間遠にあれや」を引いてきたのを、同じ古歌の語を用いて返し、間遠なのはむしろ帝の訪れのほうだと穏やかに応じている。

なる:人と馴れ親しむ意と、衣が着古されて萎える意を掛ける
しほやきごろも:塩を焼く海人が着る粗末な衣
まどほ:衣の織り目が粗いこと。訪れの間が遠いこと
作者
徽子女王
出典
新古今和歌集
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