霧深き秋の野中の忘れ水
絶え間がちなる頃にもあるかな
- 歌の意味
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霧の深い秋の野中を流れる忘れ水が途切れがちであるように、逢うことの絶え間がちな、この頃であることよ。
- 鑑賞
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巻第十三 恋歌三 1211
詞書「逢ひて後、逢ひがたき女に」
訪れの途絶えた恋を詠む一連の三首目である。霧の深い秋の野中の忘れ水が途切れがちであるように、逢うことの絶え間がちな頃であると詠む。詞書によれば、一度逢ったのちに逢いにくくなった女に贈った歌である。
作者の「坂上是則」は、『古今和歌集』の時代の歌人で、三十六歌仙の一人に数えられる。
初句「霧深き」は、霧の深い、の意である。霧に隠れて見えにくい水を思わせ、逢いがたさの暗示となる。
二句「秋の野中の」は、秋の野原の中の、の意である。
三句「忘れ水」は、野中などを人に知られず途切れ途切れに流れる水をいう。上の三句が序詞となり、四句の「絶え間」を導く。「忘れ」の語が、忘れられてゆく身を思わせる。
四句「絶え間がちなる」は、途切れがちな、の意である。水の流れが絶える意と、逢瀬が途絶えがちな意が重なる。前歌の「間遠」と同じく、訪れの間隔の遠さを詠む。
結句「頃にもあるかな」は、この頃であることよ、の意で、詠嘆の「かな」で結ぶ。
わすれみづ:野中などを人に知られず途切れ途切れに流れる水
たえま:途切れている間
- 作者
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坂上是則
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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なれゆくはうき世なればや須磨の海人の 塩焼き衣間遠なるらん
- 次の歌
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世の常の秋風ならば荻の葉に そよとばかりの音はしてまし