世の常の秋風ならば荻の葉に
そよとばかりの音はしてまし
- 歌の意味
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世間並みの秋風であるならば、荻の葉にそよとだけでも音を立てるでしょうに。
- 鑑賞
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巻第十三 恋歌三 1212
詞書「三条院皇子の宮と申しける時、久しく問はせたまはざりければ」
訪れの途絶えた恋を詠む一連の四首目である。世間並みの秋風ならば、荻の葉にそよとだけでも音を立てるだろうに、と詠み、便りさえない相手を恨む。詞書によれば、三条天皇が東宮であったころ、長く訪れがなかったので贈った歌である。
作者の「安法法師女」は、歌僧安法法師の娘である。安法法師は源融の曾孫で、河原院に住んだ。
詞書の「皇子の宮」は、ここでは皇太子をいう。
初句「世の常の」は、世間並みの、の意である。
二句「秋風ならば」は、秋風であるならば、の意である。「まし」と呼応する反実仮想の仮定で、あなたは世間並みの秋風ですらない、という恨みを含む。
三句「荻の葉に」は、荻の葉に、の意である。荻は風に葉がそよぐ音で秋の訪れを告げる景物として詠まれる。
四句「そよとばかりの」は、そよとだけの、の意である。「そよ」は葉ずれの音を表し、ほんのわずかな便りをたとえている。
結句「音はしてまし」は、音は立てるだろうに、の意である。「音」は便りの意にも通じる。本巻の第千百九十九首が気まぐれな風でさえ松に音すると詠んだのと同じく、風の訪れを人の訪れに比べ、風にも劣る相手の無沙汰を恨んでいる。
をぎ:水辺に生える草。葉が風にそよぐ音で秋を告げる
とふ:訪れる。便りをする
- 作者
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安法法師女
- 出典
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新古今和歌集
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霧深き秋の野中の忘れ水 絶え間がちなる頃にもあるかな
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あしひきの山のかげ草結び置きて 恋ひやわたらん逢ふよしをなみ