絶えぬるか影だに見えば問ふべきに
形見の水は水草ゐにけり
- 歌の意味
-
二人の仲は絶えてしまったのか。せめてあの人の影だけでも映って見えるなら尋ねもしようのに、形見の水には水草が生えてしまった。
- 鑑賞
-
巻第十四 恋歌四 1239
詞書「入道摂政久しくまうで来ざりけるころ、鬢かきて出で侍りける泔坏の水、入れながら侍りけるを見て」
恋の贈答を並べる一連の六首目である。二人の仲は絶えたのか、影だけでも映るなら尋ねもしようのに、形見の水には水草が生えてしまったと嘆く。詞書によれば、入道摂政が久しく訪れなかったころ、かつて鬢の髪を整えて出ていったときの泔坏の水が、そのまま残っているのを見て詠んだ歌である。
作者の「右大将道綱母」は藤原道綱母である。藤原倫寧の娘で、藤原兼家の妻となり、右大将藤原道綱を生んだ。『蜻蛉日記』の作者である。詞書の「入道摂政」は、出家した摂政の意で、夫の藤原兼家を指す。
この歌は『蜻蛉日記』にも見え、そこでは三句が「問ふべきを」となっている。
初句「絶えぬるか」は、二人の仲は絶えてしまったのか、の意である。「ぬる」は完了、「か」は詠嘆を込めた疑問で、初句切れとなる。
二句「影だに見えば」の「だに」は、せめて〜だけでも、の意である。泔坏の水に兼家の面影だけでも映るなら、と仮定する。
三句「問ふべきに」は、尋ねもしようのに、の意で、逆接で下に続く。
四句「形見の水は」は、兼家が鬢を整えたあとに残していった泔坏の水を、形見と見なしたものである。
結句「水草ゐにけり」は、水草が生えてしまった、の意である。「けり」は気づきの詠嘆で、放置された水に水草が生じるほどの月日が経ったことを、目の前の物によって示している。面影を映すはずの水面が水草に覆われ、影さえ見えないという嘆きで結ばれる。
びん:頭の左右側面の髪
ゆするつき:髪を洗い整えるための湯水を入れておく器
かたみ:思い出のよすがとなる物
みくさゐる:水草が生える
- 作者
-
藤原道綱母
- 出典
-
新古今和歌集
- 前の歌
-
昨日とも今日とも知らず今はとて 別れしほどの心まどひに
- 次の歌
-
かたがたに引き別れつつあやめ草 あらぬねをやはかけむと思ひし