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霞むらむほどをも知らず時雨つつ
過ぎにし秋の紅葉をぞ見る

歌の意味
世間ではもう霞んでいるだろう春の時節も知らずに、時雨のように涙に暮れながら、過ぎ去った秋の紅葉を見ている。
鑑賞
巻第十四 恋歌四 1246

詞書「春になりてと奏し侍りけるが、さもなかりければ、内より『まだ年もかへらぬにや』とのたまはせたりける御返事を、楓の紅葉につけて」
 秋冬の景物に寄せて疎遠を嘆く一連の六首目である。世間ではもう霞んでいるだろう春の時節も知らずに、時雨のように涙に暮れて、過ぎ去った秋の紅葉を見ていると詠む。詞書によれば、春になったら参内すると申し上げながらそうしなかったので、村上天皇から「まだ年も改まらないのか」と仰せがあり、その御返事を楓の紅葉に付けて差し上げたものである。
 作者の「女御徽子女王」は、醍醐天皇の皇子重明親王の娘で、村上天皇の女御である。若くして伊勢の斎宮を務めたことから斎宮女御と呼ばれた。三十六歌仙の一人である。
 天皇は次歌の第千二百四十七首で答えている。

 初句「霞むらむ」の「らむ」は現在推量で、今ごろ世間では霞んでいるだろう、の意である。春の到来を推し量る言い方で、自分がその春の外にいることを示す。
 二句「ほどをも知らず」は、その時節も知らずに、の意である。天皇の「まだ年もかへらぬにや」という問いに、春が来たことさえ知らなかったと答える形となる。
 三句「時雨つつ」は、時雨が降り続く意で、涙に暮れて過ごすことを重ねる。春の霞に対して秋冬の時雨を置き、季節を対照させる。
 四句「過ぎにし秋の」は、過ぎ去った秋の、の意である。
 結句「紅葉をぞ見る」の「ぞ」は係助詞で、「見る」は連体形で結ぶ。楓の紅葉に歌を付けたことと照応し、心は今も秋のまま、春を迎えていないと告げている。

そうす:天皇に申し上げる
かへる:年が改まる
かへで:楓
しぐる:時雨が降る、涙にくれる
作者
徽子女王
出典
新古今和歌集
前の歌
浅茅生ふる野辺やかるらむ山賤の 垣ほの草は色も変はらず
次の歌
今来むと頼めつつふる言の葉ぞ 常磐に見ゆる紅葉なりける