めぐりあはむ限りはいつと知らねども
月な隔てそよその浮雲
- 歌の意味
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ふたたびめぐり逢えるのがいつかは分からないけれど、月を隔ててくれるな、よそに浮かぶ雲よ。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 1272
詞書「千五百番歌合に」
月に寄せる恋を詠む一連の十七首目である。ふたたびめぐり逢えるのがいつかは分からないが、よその浮雲よ、月を隔てるなと詠む。詞書によれば、千五百番歌合に出詠した歌である。
作者の「摂政太政大臣」は藤原良経である。関白九条兼実の子で、摂政、太政大臣に至り、後京極摂政と呼ばれた。新古今和歌集の仮名序を執筆した。
千五百番歌合は、後鳥羽院が建仁元年(1201)に三十人の歌人に百首歌を詠ませ、翌年にかけて千五百番に番えて判を加えた、史上最大の歌合である。
拾遺集雑上の橘忠幹の歌「忘るなよほどは雲居になりぬとも空行く月のめぐりあふまで」を踏まえる。この歌は『伊勢物語』にも見え、遠く離れても月がめぐるように再会する日を待つ心を詠む。
初句「めぐりあはむ」は、月がめぐるように、ふたたび逢う、の意である。本歌の結句「めぐりあふまで」を受けている。
二句「限りはいつと」は、その時がいつか、の意である。
三句「知らねども」は逆接で、分からないけれど、の意である。
四句「月な隔てそ」は、「な〜そ」の禁止で、月を隔てるな、の意である。再会の日まで、せめて二人をつなぐ月だけは見ていたいという願いである。
結句「よその浮雲」は、呼びかけの体言止めである。自分たちとは関わりのない浮雲に、恋を妨げるものを重ねる。本巻の第千二百七十五首の源通光の歌も同じ結句で結ばれている。
めぐりあふ:月がめぐるように、ふたたび逢う
へだつ:間を隔てる、さえぎる
うきぐも:空に浮かび漂う雲
- 作者
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藤原良経
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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忘らるる身を知る袖の村雨に つれなく山の月は出でけり
- 次の歌
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我が涙もとめて袖に宿れ月 さりとて人の影は見ねども