言の葉のうつりし秋も過ぎぬれば
我が身時雨とふる涙かな
- 歌の意味
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あの人の言葉が色あせて移ろった秋も過ぎてしまったので、我が身は時雨となって涙を降らせ、古びてゆくばかりであることよ。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 1319
詞書「千五百番歌合に」
秋の景物に寄せて恋の嘆きを詠む一連の二首目である。あの人の言葉が色あせて移ろった秋も過ぎ、我が身は時雨となって降る涙にくれ、古びてゆくと詠む。詞書によれば、千五百番歌合に出詠した歌である。
作者の「右衛門督通具」は源通具である。内大臣源通親の子で、源通光の兄にあたる。新古今和歌集の撰者の一人で、右衛門督は本集成立時の官職である。
古今集恋五の小野小町の歌「今はとて我が身時雨にふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり」を本歌とする。
初句「言の葉の」は、言葉を葉にたとえた語である。本巻の第千二百四十一首の伊勢の歌の初句と同じで、そこでも言の葉の移ろいと時雨とが取り合わされていた。
二句「うつりし秋も」は、言葉が色あせ移ろった秋も、の意である。木の葉の色の変わる秋に、人の心変わりを重ねる。
三句「過ぎぬれば」は、過ぎてしまったので、の意である。
四句「我が身時雨と」は、本歌の「我が身時雨に」を受け、我が身を時雨にたとえる。
結句「ふる涙かな」の「ふる」は、時雨が「降る」意と、我が身が「古る」意とを掛ける掛詞である。本歌では我が身が古びたので言の葉も移ろったと詠んだが、ここでは言の葉の移ろいが先に来て、そののち我が身が時雨となって古びてゆくと、順序を逆にして詠んでいる。
ことのは:言葉、葉にたとえていう
しぐれ:晩秋から初冬に降ったりやんだりする雨
ふる:時雨が降る意と、身が古びる意を掛ける
- 作者
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源通具
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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ながめても哀れと思へおほかたの 空だに悲し秋の夕暮れ
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消えわびぬうつろふ人の秋の色に 身をこがらしの森の白露