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心こそ行方も知らね三輪の山
杉の梢の夕暮れの空

歌の意味
私の心こそ、行方も知れずさまよい出てしまった。三輪の山の、杉の梢のあたりの、夕暮れの空へと。
鑑賞
巻第十四 恋歌四 1327

詞書「摂政太政大臣家百首歌合に尋恋」
 秋の景物に寄せて恋の嘆きを詠む一連の十首目である。私の心こそ行方も知れず、三輪の山の杉の梢の夕暮れの空へさまよい出たと詠む。詞書によれば、藤原良経の家で催された百首歌の歌合で、尋恋の題を詠んだ歌である。
 作者の「前大僧正慈円」は、関白藤原忠通の子で、天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。前大僧正は、前の大僧正の意である。
 三輪の山は大和国の歌枕で、大神神社の神体とされ、杉を神木とする。古今集雑下の読人しらずの歌「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」を本歌とする。尋恋は、恋人を尋ね求める恋を詠む題である。

 初句「心こそ」の「こそ」は、二句の已然形「知らね」と係り結びをなし、逆接で下に続く。
 二句「行方も知らね」は、行方も分からないが、の意である。恋人を尋ねる題に対し、尋ねる自分の心こそ行方が知れないと詠む。
 三句「三輪の山」は、本歌の「三輪の山もと」を受ける。本歌では恋しければ尋ねて来いと、杉の立つ門を目印に示していた。
 四句「杉の梢の」は、本歌の「杉立てる門」の杉を、門から梢へと視線を上げて捉える。
 結句「夕暮れの空」は体言止めである。尋ねる目印であった杉を見上げても、心は梢の上の夕暮れの空にさまよい出るばかりだと結ぶ。本巻の第千三百二首の寂蓮の歌と同じ結句である。

ゆくへ:行き先、行方
こずゑ:木の幹や枝の先
作者
慈円
出典
新古今和歌集
前の歌
露払ふ寝覚めは秋の昔にて 見果てぬ夢に残る面影
次の歌
さりともと待ちし月日ぞうつりゆく 心の花の色にまかせて