古典和歌stream

野辺の露は色もなくてやこぼれつる
袖より過ぐる荻の上風

歌の意味
野辺の露は、わが袖の涙と違って、色もないままこぼれたのだろうか。袖を吹き過ぎてゆく荻の上風よ。
鑑賞
巻第十五 恋歌五 1338

詞書は前の歌に続き「水無瀬恋十五首歌合に」
 露を詠む一連の三首目である。袖を吹き過ぎる荻の上風に、野辺の露は色もないままこぼれたのかと問いかけ、色に染まったわが袖の涙を裏に示す。前歌までと同じく、水無瀬恋十五首歌合に出詠された歌である。
 作者の「前大僧正慈円」は、関白藤原忠通の子の慈円である。天台座主を四度務め、歴史書『愚管抄』を著した。

 初句「野辺の露は」は六音の字余りである。助詞「は」で野辺の露を取り立て、袖の露と対比させる。
 二句「色もなくてや」の「や」は疑問の係助詞である。前歌までの露が涙のたとえであったのに対し、ここでは野辺の露と袖の涙が分けられ、袖の涙には色があることが裏に示される。巻頭歌の「身にしむ色」を受けた「色」の語である。
 三句「こぼれつる」は、係助詞「や」を受けて連体形で結ぶ係り結びである。三句で切れる。
 四句「袖より過ぐる」は、袖を通って吹き過ぎてゆく、の意である。巻頭歌の「袖の別れ」と同じく、袖が涙の場として据えられている。
 結句「荻の上風」は体言止めである。荻の葉の上を吹き渡る秋風をいい、そのそよぐ音が秋の訪れや人の訪れを思わせる景物として詠まれてきた。野辺の露を散らす風が、そのまま袖をも吹き過ぎてゆく。

をぎ:水辺や湿地に生えるイネ科の草で、秋風にそよぐ葉音が歌に詠まれる
うはかぜ:草木の葉の上を吹き渡る風
作者
慈円
出典
新古今和歌集
前の歌
思ひ入る身はふかくさの秋の露 頼めし末や木枯らしの風
次の歌
恋ひわびて野辺の露とは消えぬとも 誰か草葉をあはれとは見ん