思ひわび見し面影はさておきて
恋せざりけん折ぞ恋しき
- 歌の意味
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思い悩んだ末に、かつて逢った人の面影のことはさておいて、恋をしていなかったころの自分がかえって恋しい。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 1394
詞書「崇徳院に百首歌たてまつりける時、恋歌」
過ぎた恋を思い返す一連の五首目である。恋に思い悩んだ末、逢った人の面影よりも、恋を知らなかったころの方が恋しいと詠む。詞書によれば、崇徳院に百首歌を詠進した折の恋の歌である。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。権中納言藤原俊忠の子で、『千載和歌集』を撰進し、藤原定家の父にあたる。皇太后宮大夫は皇太后宮職の長官である。
崇徳院に詠進した百首歌は、久安六年(1150)に崇徳院が歌人たちに詠ませた久安百首である。
初句「思ひわび」は、思い悩んで、の意である。
二句「見し面影は」は、かつて逢ったときに見た相手の姿は、の意である。本巻の第千三百九十首、第千三百九十一首に続く「面影」の語である。
三句「さておきて」は、それはそれとして、の意である。恋しいはずの面影を脇に置いてしまう。
四句「恋せざりけん」は、恋をしていなかったであろう、の意である。
結句「折ぞ恋しき」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「恋しき」で結ぶ係り結びである。恋しいのは相手ではなく恋を知らなかった過去の自分だという理屈で、「恋」の語を繰り返しながら、恋する苦しみの深さを逆から示している。
おもひわぶ:思い悩む
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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過ぎにける世々の契りも忘られて いとふ憂き身の果てぞはかなき
- 次の歌
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流れ出でんうき名にしばし淀むかな 求めぬ袖の淵はあれども