ならはねば人の訪はぬもつらからで
悔しきにこそ袖は濡れけれ
- 歌の意味
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あなたの訪れに慣れてはいないので、訪ねてくれないこともつらくはない。ただ悔しさのために、袖は涙に濡れるのだ。
- 鑑賞
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巻第十五 恋歌五 1400
詞書「忠盛朝臣かれがれになりて後、いかが思ひけん、久しく訪れぬ事を恨めしくやなど言ひて侍りければ、返事に」
途絶えた仲を詠む一連の六首目である。訪れに慣れていないので来ないことはつらくはなく、ただ悔しさで袖が濡れると返す。詞書によれば、平忠盛の訪れが途絶えがちになった後、忠盛が長く訪れないことを恨めしく思っているかと言ってきたので、その返事として詠んだ歌である。
作者の「前中納言教盛母」は、平忠盛の妻で、中納言平教盛の母にあたる女性である。忠盛は刑部卿に至った武士で、平清盛の父である。
初句「ならはねば」は、慣れていないので、の意である。相手の訪れに慣れるほど通ってもらっていなかった、という皮肉をこめる。
二句「人の訪はぬも」は、あなたが訪れないことも、の意である。前歌の結句「訪はずなりぬる」を受けている。
三句「つらからで」は、つらくはなくて、の意である。忠盛の「恨めしくや」という問いに、恨んではいないと答えている。
四句「悔しきにこそ」は、悔しさのために、の意である。係助詞「こそ」が結句に係る。
結句「袖は濡れけれ」は、係助詞「こそ」を受けて已然形「けれ」で結ぶ係り結びである。つらさではなく悔しさで泣くと言い、相手を恨むのではなく、相手に心を許した自分を悔いる形で、忠盛の問いを切り返している。
ならふ:慣れる
- 作者
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平教盛母
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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おのづからさこそはあれと思ふ間に まことに人の訪はずなりぬる
- 次の歌
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嘆かじな思へば人につらかりし この世ながらの報いなりけり