昔見し春は昔の春ながら
我が身ひとつのあらずもあるかな
- 歌の意味
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昔見た春は、昔のままの春であるのに、わが身ひとつだけが、昔のわが身ではなくなってしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1450
詞書「題しらず」
昔の春をしのぶ一連の二首目である。春は昔のままの春であるのに、わが身ひとつだけが昔の身ではなくなったと詠む。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者の「深養父」は、清原元輔の祖父で、清少納言の曽祖父にあたる。平安時代前期の歌人で、琴の名手としても知られた。
『古今和歌集』の在原業平の歌「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして」は、月も春も昔のままではないのに、わが身だけはもとの身のままだと詠む。この歌はその構図を逆にし、春は昔のままで、わが身だけが変わったとする。
初句「昔見し」は、過去の助動詞「し」で、かつて見た、の意を表す。前歌の「あはれ昔と」を受け、昔をしのぶ思いを続ける。
二句「春は昔の」は、初句の「昔」を重ねて、春が昔と同じであることを強く示す。
三句「春ながら」の「ながら」は、そのままで、の意である。二句の「春」を繰り返し、「昔」と「春」を交互に重ねる調べを作る。
四句「我が身ひとつの」は、業平の歌の四句「我が身ひとつは」とほぼ同じ句で、変わらない春に対して、わが身だけを取り出す。
結句「あらずもあるかな」は、昔のわが身ではない、の意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。業平の歌の「もとの身にして」を反転させ、老いて変わった身を嘆く。
ながら:そのままの状態で
- 作者
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清原深養父
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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道の辺の朽ち木の柳春来れば あはれ昔としのばれぞする
- 次の歌
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垣越しに見るあだ人の家桜 花散りばかり行きて折らばや