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いさやまた月日のゆくも知らぬ身は
花の春とも今日こそは見れ

歌の意味
さあ、どうだろうか。月日の過ぎてゆくのも知らずに過ごしてきたこの身は、花の咲く春であるとも、今日はじめて知って見ることだ。
鑑賞
巻第十六 雑歌上 1458

詞書「籠り居て侍りける頃、後徳大寺左大臣白河の花見に誘ひ侍りければ、まかりてよみ侍りける」
 桜を詠む一連の八首目である。籠って月日の過ぎるのも知らずにいた身は、今日はじめて花の春と知って見ると詠む。詞書によれば、作者が家に籠っていた頃、後徳大寺左大臣に白河の花見に誘われて出かけ、詠んだ歌である。
 作者の「源師光」は、平安時代末期の歌人で、源具親や宮内卿の父にあたる。
 詞書の「後徳大寺左大臣」は藤原実定である。藤原公能の子で、左大臣に至った。白河は京の東、鴨川の東岸一帯の地で、花の名所として知られた。

 初句「いさやまた」の「いさ」は、さあどうだろうか、と答えをぼかす語である。世間から離れて籠っていた身の心もとなさを表す。
 二句「月日のゆくも」は、月日が過ぎてゆくことをいう。籠っていた間の時の流れを示す。
 三句「知らぬ身は」は、それを知らずにいた自分をいう。前歌の「逢ふ世ありけり」の晴れやかさに対し、世から取り残された身の述懐となる。
 四句「花の春とも」は、花の咲く春であるとも、の意である。白河の花に誘われて、はじめて季節を知ったことを示す。
 結句「今日こそは見れ」は、係助詞「こそ」を受けて已然形「見れ」で結ぶ係り結びである。今日という日を強く示し、誘ってくれた実定への感謝を込めている。

こもりゐる:家に引きこもって過ごす
いさ:さあどうだろうか。答えをぼかす語
作者
源師光
出典
新古今和歌集
前の歌
ふるさとと思ひなはてそ花桜 かかる御幸に逢ふ世ありけり
次の歌
折る人のそれなるからにあぢきなく 見しわが宿の花の香ぞする