惜しめども常ならぬ世の花なれば
今はこの身を西に求めん
- 歌の意味
-
いくら惜しんでも、無常の世の花であるので散ってしまう。今はこの身の行く先を、西方の浄土に求めよう。
- 鑑賞
-
巻第十六 雑歌上 1465
詞書「鳥羽殿にて花の散りがたなるを御覧じて、後三条内大臣に賜はせける」
桜を詠む一連の十五首目である。惜しんでも無常の世の花は散るので、今はこの身の行く先を西方浄土に求めようと詠む。詞書によれば、鳥羽殿で花が散りかけているのを見て、後三条内大臣に下された歌である。
作者の「鳥羽院御歌」は鳥羽天皇である。堀河天皇の皇子で、譲位ののち崇徳、近衛、後白河の三代にわたって院政を行い、のちに出家した。
鳥羽殿は、京の南の鳥羽の地に営まれた離宮である。詞書の「後三条内大臣」は、院に近侍した内大臣の呼称である。
初句「惜しめども」は、已然形に逆接の「ども」を添え、惜しんでも、の意となる。散る花を惜しむ心をまず示す。
二句「常ならぬ世の」は、無常の世をいう。本巻の第千四百四十五首の四句「常ならぬ世に」と同じく、花に無常を見る語である。
三句「花なれば」は、已然形に「ば」を添えた確定条件で、花であるので、の意である。
四句「今はこの身を」は、花を惜しむ心から転じて、わが身の行く末に思いを向ける。
結句「西に求めん」の「西」は、西方の極楽浄土をいう。意志の「ん」で、散る花に無常を悟り、浄土を願う心を表している。
とばどの:京の南、鳥羽の地に営まれた離宮
にし:西方にあるとされる極楽浄土
- 作者
-
鳥羽院
- 出典
-
新古今和歌集
- 前の歌
-
桜花過ぎゆく春の友とてや 風の音せぬ夜にも散るらん
- 次の歌
-
今は我吉野の山の花をこそ 宿の物とも見るべかりけれ