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おのが波に同じ末葉ぞしをれぬる
藤咲く多祜のうらめしの身や

歌の意味
藤の花房が自らの波のような重みで、同じ末の葉までしおれてしまった。藤の咲く多祜の浦ではないが、恨めしいわが身であることよ。
鑑賞
巻第十六 雑歌上 1482

詞書「五十首歌奉りし時」
 晩春の景物を詠む一連の十首目で、一連の終わりの歌である。藤の花がおのれの波に同じ末葉までしおれるさまに、藤の咲く多祜の浦を重ね、恨めしいわが身を嘆く。詞書によれば、後鳥羽院に五十首歌を奉った折の歌である。
 作者の「前大僧正慈円」は、藤原忠通の子で、九条兼実の弟にあたる。天台座主を四度務め、史論書『愚管抄』を著した。
 多祜の浦は越中の歌枕で、藤の名所として『万葉集』以来詠まれてきた。藤は藤原氏の象徴とされ、この歌は藤原氏の一族の末に連なる身の嘆きを込めたものとも解される。

 初句「おのが波に」は、字余りの句である。「波」は風に揺れる藤の花房を波にたとえた藤波をいう。
 二句「同じ末葉ぞ」の「末葉」は、枝先の葉の意と、子孫の意を重ねる。係助詞「ぞ」は三句の「ぬる」で結ぶ。
 三句「しをれぬる」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「ぬる」で結ぶ係り結びである。同じ藤の末葉がしおれてしまったことを嘆き、ここで三句切れとなる。
 四句「藤咲く多祜の」は、藤の名所の多祜の浦を示し、結句の「うら」を導く。
 結句「うらめしの身や」の「うらめし」は、多祜の「浦」と「恨めし」を掛ける。本巻の第千四百七十首の慈円の歌と同じ結句で、晩春の藤を最後に置いて、一連を結んでいる。

うらめし:地名の多祜の「浦」と、「恨めし」を掛ける
すゑば:枝先の葉。転じて子孫
ふぢなみ:風に揺れる藤の花房を波にたとえた語
作者
慈円
出典
新古今和歌集
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