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月をなど待たれのみすと思ひけん
げに山の端は出でうかりけり

歌の意味
月のことを、どうして人に待たれてばかりいるものと思っていたのだろう。なるほど、山の端は出にくいものであったよ。
鑑賞
巻第十六 雑歌上 1504

詞書「三井寺にまかりて日頃過ぎて帰らんとしけるに、人々名残惜しみてよみ侍りける」
 月を詠む一連の六首目である。月はただ待たれるばかりのものと思っていたが、なるほど山の端は出にくいものだったと詠み、自分も名残惜しくて去りがたいことを月に重ねる。詞書によれば、三井寺に出かけて幾日か過ごし、帰ろうとしたとき、人々が名残を惜しんだので詠んだ歌である。
 作者の「刑部卿範兼」は、藤原能兼の子である。刑部卿に至り、歌学書『和歌童蒙抄』を著した。
 三井寺は、近江の園城寺の通称で、天台宗寺門派の総本山である。

 初句「月をなど」の「など」は、どうして、の意の疑問である。月についての思い込みを問い直す。
 二句「待たれのみすと」は、受身の「る」で、人に待たれるばかりだと、の意となる。
 三句「思ひけん」は、係助詞を用いず、疑問の「など」を受けて連体形「けん」で結ぶ。どうして思っていたのだろう、と自問し、ここで三句切れとなる。
 四句「げに山の端は」の「げに」は、なるほど本当に、の意である。本巻の第千五百一首で月が「山の端を出でがてにする」と詠まれたのと同じく、山の端を出にくい月を詠む。
 結句「出でうかりけり」は、出るのがつらいものであったよ、の意である。月の出にくさを、名残惜しくて三井寺を去りがたい自分の心に重ねている。

いでうし:出るのがつらい。出にくい
げに:なるほど。本当に
作者
藤原範兼
出典
新古今和歌集
前の歌
浮雲に隠れてとこそ思ひしか ねたくも月の隙漏りにける
次の歌
思ひ出づる人もあらしの山の端に ひとりぞ入りし有明の月