いかにして袖に光の宿るらん
雲居の月は隔ててし身を
- 歌の意味
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どうして私の袖に月の光が宿るのだろう。宮中の月からは、遠く隔てられてしまった身であるのに。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1510
詞書「崇徳院に百首歌奉りけるに」
月に昔を思う一連の二首目である。宮中の月からは隔てられた身であるのに、どうして袖に光が宿るのかと詠む。詞書によれば、崇徳院に百首歌を奉った折の歌である。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。藤原俊忠の子で、定家の父にあたる。皇太后宮大夫を務め、安元二年(1176)に出家した。『千載和歌集』の撰者である。原文には作者名がなく、前歌の作者を受ける。
崇徳院に奉った百首は、久安六年(1150)に成った久安百首を指す。
初句「いかにして」は、どうして、の意で、疑問をまず示す。
二句「袖に光の」は、涙に濡れた袖に月の光が映ることをいう。
三句「宿るらん」は、現在推量の「らん」で、宿るのだろうか、の意となる。ここで三句切れとなる。
四句「雲居の月は」は、前歌の四句「雲居の月の」と同じく宮中の月をいう。前歌で譲位を惜しんだ崇徳院を、ここでも雲居の月として仰いでいる。
結句「隔ててし身を」は、宮中から遠く隔てられた身であるのに、の意で、倒置の形で下句に理由を置く。院から遠い身であるのに、涙の袖に月の光が宿るとして、院の恵みのありがたさを表している。
くもゐ:宮中。また、はるかな空
やどる:水面などに光や影が映る
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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忘れじよ忘るなとだに言ひてまし 雲居の月の心ありせば
- 次の歌
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心には忘るる時もなかりけり 三代の昔の雲の上の月