身の憂さを月やあらぬとながむれば
昔ながらの影ぞ漏り来る
- 歌の意味
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身のつらさゆえに、月は昔の月ではないのかと眺めていると、昔のままの月の光が漏れてくる。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1542
詞書「千五百番歌合に」
月にわが身を思う一連の十二首目である。身のつらさゆえに月は昔の月ではないのかと眺めていると、昔のままの月の光が漏れてくると詠む。詞書によれば、千五百番歌合に出詠された歌である。
作者の「二条院讃岐」は、源頼政の娘である。二条天皇に仕え、のちに宜秋門院に仕えた。
二句は、『古今和歌集』の在原業平の歌「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして」を踏まえる。
初句「身の憂さを」は、わが身のつらさを、の意である。
二句「月やあらぬと」は、月は昔の月ではないのか、の意で、業平の歌の初句「月やあらぬ」をそのまま用いる。
三句「ながむれば」は、已然形に「ば」を添えた確定条件で、眺めていると、の意である。
四句「昔ながらの」は、昔のままの、の意である。業平の歌で変わってしまったと嘆かれた月が、ここでは昔と変わらないとされる。
結句「影ぞ漏り来る」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「来る」で結ぶ係り結びである。変わったのは月ではなく身の憂さのほうであり、昔と同じ月の光がかえってわが身の変わりようを際立たせている。
かげ:光。月の光
うさ:つらさ
- 作者
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二条院讃岐
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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心ある人のみ秋の月を見ば 何を憂き身の思ひ出にせん
- 次の歌
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有明の月よりほかは誰をかは 山路の友と契りおくべき