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荒れわたる秋の庭こそあはれなれ
まして消えなん露の夕暮

歌の意味
一面に荒れてゆく秋の庭は、しみじみと哀れだ。まして、まもなく消えてしまうであろう露のような私の、この夕暮れは。
鑑賞
巻第十六 雑歌上 1561

詞書「千五百番歌合に」
 秋の景物に寄せて述懐する一連の二首目である。一面に荒れてゆく秋の庭は哀れであり、まして消えようとする露のような身の夕暮れはなおさらだと詠む。詞書によれば、千五百番歌合に出詠された歌である。
 作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。藤原俊忠の子で、定家の父にあたる。皇太后宮大夫を務め、安元二年(1176)に出家した。『千載和歌集』の撰者である。原文には作者名がなく、前歌の作者を受ける。
 千五百番歌合は、建仁元年(1201)に後鳥羽院が三十人の歌人に百首歌を詠ませ、それを番えて成った、史上最大の歌合である。

 初句「荒れわたる」は、一面に荒れてゆく、の意である。
 二句「秋の庭こそ」の「こそ」は係助詞で、三句の「なれ」で結ぶ。
 三句「あはれなれ」は、係助詞「こそ」を受けて已然形「なれ」で結ぶ係り結びである。荒れた秋の庭の哀れをまず述べ、ここで三句切れとなる。
 四句「まして消えなん」は、まして消えてしまうであろう、の意である。「なん」は強意の「な」に推量の「ん」を添えた形で、すぐにも消えてしまいそうなさまを示す。
 結句「露の夕暮」は体言止めである。はかなく消える露に、老い先の短いわが身を重ねる。前歌で墓所を思った俊成が、ここでは消えゆく露にわが身を託している。

あれわたる:一面に荒れる
作者
藤原俊成
出典
新古今和歌集
前の歌
しめおきて今やと思ふ秋山の 蓬がもとにまつむしの鳴く
次の歌
雲かかる遠山畑の秋されば 思ひやるだに悲しきものを