百年の秋の嵐は過ぐしきぬ
いづれの暮れの露と消えなん
- 歌の意味
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百年近い秋の嵐は、やり過ごしてきた。いったいどの秋の暮れの露となって、私は消えてゆくのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十六 雑歌上 1570
詞書「秋の暮れに身の老いぬることを嘆きてよみ侍りける」
秋の景物に寄せて述懐する一連の十一首目である。百年近い秋の嵐はやり過ごしてきたが、どの秋の暮れの露となって消えるのだろうかと詠む。詞書によれば、秋の暮れにわが身の老いたことを嘆いて詠んだ歌である。
作者の「安法法師」は、左大臣源融の曾孫で、俗名を源趁という。出家して、融の旧邸であった河原院に住んだ。
初句「百年の」は、百年をいい、長い年月を過ごしてきたことを誇張して示す。
二句「秋の嵐は」は、毎年の秋に吹き荒れた嵐をいう。人生の苦難をも重ねる。
三句「過ぐしきぬ」は、完了の「ぬ」で、やり過ごしてきた、の意となり、ここで三句切れとなる。
四句「いづれの暮れの」は、どの秋の暮れの、の意である。いつ訪れるとも知れない最期を思う。
結句「露と消えなん」は、強意の「な」に推量の「ん」を添え、露となって消えてしまうだろう、の意となる。本巻の第千五百六十一首の「まして消えなん露の夕暮」と同じく、老いの身を消えゆく露にたとえている。
ももとせ:百年
すぐす:やり過ごす。過ごす
- 作者
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安法
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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山里に葛はひかかる松垣の ひまなくものは秋ぞ悲しき
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秋果つるはつかの山の寂しきに 有明の月を誰と見るらん