おほかたに過ぐる月日とながめしは
我が身に年の積もるなりけり
- 歌の意味
-
ありふれて過ぎてゆく月日だと思って眺めていたのは、実は我が身に年が積もってゆくことだったのだ。
- 鑑賞
-
巻第十六 雑歌上 1587
詞書は前の歌に続き「題しらず」
冬を詠む一連の十一首目で、巻第十六の巻末歌である。ありふれて過ぎてゆく月日と思って眺めていたのは、実はわが身に年が積もることだったと詠む。詞書は前の歌に続き題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者の「慈覚大師」は円仁である。最澄の弟子で、唐に渡って仏教を学び、帰国して天台座主となった。慈覚大師は没後に贈られた号である。
『古今和歌集』の在原業平の歌「おほかたは月をもめでじこれぞこの積もれば人の老いとなるもの」は、月を愛でることが積もって老いとなると詠む。この歌も、月日の積み重なりをわが身の老いとしてとらえる。
初句「おほかたに」は、ありふれて、並一通りに、の意である。月日を気にとめずに過ごしてきたことを示す。
二句「過ぐる月日と」は、過ぎてゆく月日と、の意である。
三句「ながめしは」は、過去の「し」で、眺めていたのは、の意となる。
四句「我が身に年の」は、わが身に年が、の意である。本巻の第千五百三十八首の「憂き世に年の積もりぬるかな」とも通う句である。
結句「積もるなりけり」は、今気づいた詠嘆の「けり」で結ぶ。何気なく眺めた月日が老いとなって積もっていたと悟り、年の暮れで巻を閉じる。本巻巻頭の第千四百三十六首が年の暮れの涙から春を迎えたのに対し、巻末は年の積もりを悟る歌で結ばれ、巻頭と巻末が年の移りで呼応している。
おほかた:ありふれていること。並一通り
ながむ:物思いにふけりながら見やる
- 作者
-
円仁
- 出典
-
新古今和歌集
- 前の歌
-
老いぬとも又も逢はんと行く年に 涙の玉を手向けつるかな
- 次の歌
-
白波の浜松が枝の手向けぐさ 幾代までにか年の経ぬらん