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今日とてや磯菜摘むらん伊勢島や
一志の浦の海人の乙女子

歌の意味
今日は若菜摘みの日だというので、磯菜を摘んでいるのだろうか。伊勢の国の一志の浦の海人の乙女たちは。
鑑賞
巻第十七 雑歌中 1612

詞書「太神宮に奉りける百首歌の中に若菜を詠める」
 諸国の浦を詠む一連の四首目である。今日は若菜を摘む日だというので、伊勢の一志の浦の海人の乙女たちは磯菜を摘んでいるのだろうかと詠む。詞書によれば、伊勢の太神宮に奉った百首歌のうち、若菜を題とした歌である。
 作者の「皇太后宮大夫俊成」は、藤原俊忠の子で、定家の父である。『千載和歌集』を撰んだ。
 太神宮は伊勢神宮のことである。若菜摘みは、正月の初めに野に出て若菜を摘み、長寿を祈って食べる習俗である。この歌では、野の若菜に代えて、浦の乙女が磯菜を摘む姿を詠んでいる。
 一志の浦は伊勢国一志郡の海辺で、現在の三重県津市のあたりである。

 初句「今日とてや」は、今日はその日だというので、の意である。若菜摘みの日を指し、「や」は疑問の係助詞である。
 二句「磯菜摘むらん」は、磯菜を摘んでいるのだろうか、の意である。係助詞「や」を受けて「らん」の連体形で結ぶ係り結びで、ここで句が切れる二句切れとなる。
 三句「伊勢島や」は、伊勢の国の、の意である。「や」は詠嘆の間投助詞で、場所を強く示す。
 四句「一志の浦の」は、伊勢の一志の浦の、の意である。
 結句「海人の乙女子」は体言止めである。倒置によって、磯菜を摘む者の姿を結句に置いている。前歌までの海人の火や煙に対し、ここでは海人の乙女の姿が描かれる。

いそな:磯に生える、食用になる海藻
をとめご:若い娘
わかな:春の初めに摘む食用の若草
作者
藤原俊成
出典
新古今和歌集
前の歌
見わたせば霞のうちも霞みけり 煙たなびく塩竈の浦
次の歌
鈴鹿山憂き世をよそにふり捨てて いかになりゆくわが身なるらん