鈴鹿山憂き世をよそにふり捨てて
いかになりゆくわが身なるらん
- 歌の意味
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鈴鹿山を越え、つらい世の中を自分には関わりのないものとして振り捨ててきたが、これから私の身はどうなってゆくのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1613
詞書「伊勢にまかりける時詠める」
鈴鹿山を詠む一首で、伊勢の浦の歌を受けて山へと移る。鈴鹿山を越えて憂き世をよそに振り捨ててきたが、この先わが身はどうなってゆくのだろうかと詠む。詞書によれば、伊勢へ下った折の歌である。
作者の「西行法師」は、俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家した。
鈴鹿山は伊勢国と近江国の境の山で、鈴鹿の関が置かれた。都から伊勢へ向かう道が越える山である。
初句「鈴鹿山」は、伊勢への道にある山である。「鈴」の名から、三句の「ふり」、四句の「なり」が縁語として導かれる。
二句「憂き世をよそに」は、つらい世の中を自分とは関係のないものとして、の意である。
三句「ふり捨てて」の「ふり」には、振り捨てる、の意と、鈴を振る、の意が掛けられている。
四句「いかになりゆく」の「なり」には、成りゆく、の意と、鈴が鳴る、の意が掛けられている。
結句「わが身なるらん」は、わが身であろうか、の意である。「らん」は現在推量で、世を捨てた身の行く末への不安を詠む。
ふりすつ:振り捨てる意と、鈴を振る意を掛ける
なりゆく:成りゆく意と、鈴が鳴る意を掛ける
うきよ:つらいことの多い世の中
- 作者
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西行
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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今日とてや磯菜摘むらん伊勢島や 一志の浦の海人の乙女子
- 次の歌
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世の中を心高くも厭ふかな 富士の煙を身のおもひにて