世の中を心高くも厭ふかな
富士の煙を身のおもひにて
- 歌の意味
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富士の煙を我が身の思いの火として、世の中を高い志をもって厭うことだ。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1614
詞書「題しらず」
富士の山を詠む一連の一首目である。富士の煙をわが身の思いの火として、世の中を気高い心で厭うことだと詠む。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者の「前大僧正慈円」は、関白藤原忠通の子で、九条兼実の弟である。天台座主を四度務め、史論『愚管抄』を著した。
富士の山は駿河国と甲斐国の境の山である。この頃は噴煙が立ち上っていたとされ、その煙が思いの火にたとえられて詠まれた。
初句「世の中を」は、厭う対象である世の中を示す。
二句「心高くも」は、気高い心で、の意である。富士の山の高さに通わせた表現である。
三句「厭ふかな」は、厭うことだ、の意である。「かな」は詠嘆の終助詞で、ここで句が切れる三句切れとなる。
四句「富士の煙を」は、富士の山から立ち上る煙を、の意である。倒置によって、世を厭う心のありようを下の句で説き明かしている。本巻の第千五百九十二首からの煙の歌とも響き合う。
結句「身のおもひにて」の「おもひ」には、思い、の意と、火、の意が掛けられている。煙を生む火をわが身の思いとし、高く立ち上る煙に世を厭う志を重ねる。
いとふ:嫌って避ける。世を捨てる
おもひ:思いの意と、火の意を掛ける
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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鈴鹿山憂き世をよそにふり捨てて いかになりゆくわが身なるらん
- 次の歌
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風になびく富士の煙の空に消えて ゆくへも知らぬわがおもひかな