花ならでただ柴の戸をさして思ふ
心の奥もみよしのの山
- 歌の意味
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花を見るためではなく、ただ柴の戸を閉ざして隠れ住もうと思い定めた私の心の奥深さも見てほしい、吉野の山よ。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1618
詞書「五十首歌奉りし時」
吉野の山に籠ることを詠む一連の一首目である。花のためではなく、ただ柴の戸を閉ざして住もうと思う心の奥深さも見てほしいと、吉野の山に呼びかける。詞書によれば、五十首歌を奉った折の歌である。
作者の「前大僧正慈円」は、関白藤原忠通の子で、九条兼実の弟である。天台座主を四度務め、史論『愚管抄』を著した。
吉野山は大和国の山で、桜の名所として知られるとともに、世を逃れて籠る山としても詠まれる。
初句「花ならで」は、花ではなくて、の意である。吉野といえばまず思われる桜を、あえて打ち消して始める。
二句「ただ柴の戸を」は、ただ柴の戸を、の意である。柴の戸は、柴で作った粗末な戸で、隠者の住まいを表す。
三句「さして思ふ」の「さし」には、戸を鎖す、の意と、目指す、の意が掛けられている。六音の字余りである。
四句「心の奥も」は、心の奥深くまでも、の意である。山の奥と心の奥とを重ねている。
結句「みよしのの山」の「みよしの」には、見よ、の意と、「み吉野」が掛けられている。花を見に来る山ではなく、隠棲の心を見てほしい山として吉野を詠んで結ぶ。
しばのと:柴で作った粗末な戸。隠者の住まい
さす:戸を鎖す意と、目指す意を掛ける
みよしの:見よ、の意と、み吉野を掛ける
- 作者
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慈円
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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春秋も知らぬ常磐の山里は 住む人さへや面変はりせぬ
- 次の歌
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吉野山やがて出でじと思ふ身を 花散りなばと人や待つらん