誰かはと思ひ絶えてもまつにのみ
訪れてゆく風は恨めし
- 歌の意味
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誰が訪ねて来ようかと思い諦めていても、待つ心に応えるように松にばかり訪れては去ってゆく風は恨めしい。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1622
詞書「守覚法親王五十首歌詠ませ侍りけるに閑居の心を詠める」
山の住まいに吹く風を詠む一連の二首目である。誰も来ないと思い諦めていても、松にばかり訪れては去ってゆく風が恨めしいと詠む。詞書によれば、守覚法親王が五十首歌を詠ませた折に、閑居を題として詠んだ歌である。
作者の「有家朝臣」は、藤原重家の子で、『新古今和歌集』の撰者の一人である。
守覚法親王は後白河天皇の皇子で、仁和寺に住して御室と呼ばれた。
初句「誰かはと」は、誰が訪ねて来ようか、誰も来はしない、の意である。「かは」は反語を表す。
二句「思ひ絶えても」は、思い諦めていても、の意である。
三句「まつにのみ」の「まつ」には、庭の「松」と、人を「待つ」の意が掛けられている。「のみ」によって、松にばかり、と限定する。
四句「訪れてゆく」は、訪れては去ってゆく、の意である。人の訪れはないのに、風だけが訪れることをいう。
結句「風は恨めし」は、風が恨めしい、の意である。諦めた心に待つ思いを呼び覚ます風を恨む。前歌の夜ごとに変わる風の音に続き、ここでは松を訪れる風が詠まれる。
まつ:庭の松と、人を待つ意を掛ける
おとづる:訪ねる。音を立てる
かんきよ:世間を離れて静かに住むこと
- 作者
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藤原有家
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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ひとすぢに慣れなばさても杉の庵に 夜な夜な変はる風の音かな
- 次の歌
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山里は世の憂きよりは住みわびぬ ことのほかなる峰の嵐に