山深くさこそ心は通ふとも
住まで哀れを知らんものかは
- 歌の意味
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山深くまで、どれほど心は通うとしても、実際に住まないで、山住まいのあわれを知ることができようか、いやできはしない。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1632
詞書「題しらず」
山に住む心を詠む一連の一首目である。心はどれほど山深くに通っても、実際に住まずに山住まいのあわれを知ることはできないと詠む。詞書は題しらずで、詠まれた事情は記されていない。
作者の「西行法師」は、俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家した。
初句「山深く」は、山の奥深くまで、の意である。
二句「さこそ心は」の「さこそ」は、どれほど、さぞ、の意で、下の「とも」と呼応して強い譲歩を表す。
三句「通ふとも」は、通うとしても、の意である。「とも」は逆接の仮定を表す。
四句「住まで哀れを」は、住まないで、しみじみとした情趣を、の意である。「で」は打消しの接続助詞である。
結句「知らんものかは」は、知ることができようか、いやできない、の意である。「ものかは」は反語を表す。前の贈答で訪ねても会えなかった山の庵に続き、山住まいの心は住んでこそ知られると説く。
あはれ:しみじみとした情趣
- 作者
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西行
- 出典
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新古今和歌集
- 前の歌
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荒れ果てて風もさはらぬ苔の庵に 我はなくとも露は漏りけん
- 次の歌
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山陰にすまぬ心はいかなれや 惜しまれて入る月もあるよに